皆さんは江戸時代のことをどれだけ知っていますか?
「歴史物のドラマは見てるよ!」
「勉強は苦手なんだ・・・」
得意な人から苦手な人、様々かと思います
江戸時代は日本人にとってポピュラーな時代に思います
しかし、我々現代に住んでいる人には知らないこともたくさんあります
今回はそんな江戸時代の雑学を、江戸時代にタイムスリップしたら絶望しか感じない僕が、要点をまとめて分かりやすくご紹介します
丁髷(ちょんまげ)」のヘアーカタログがあった
江戸時代では丁髷(ちょんまげ)はポピュラーなヘアースタイルでした
当世風俗通(とうせいふうぞくつう)という、当時の流行のファッションカタログのようなものがありました
当時は遊女と遊ぶ際、遊女が自分を見定めることが当たり前でした
お気に入りの遊女に好かれるため、丁髷や服などをいくつかのスタイル別に紹介していた本がありました
宮本武蔵の父親の新免無二(しんめんむに)は十手(じって)の先生だった
時代劇で岡っ引きがよく手にしているのを見かける十手(じって)ですが、実際はしっかりと武器と認識されていました
刀ほどではないものの武器であるので、実際に岡っ引きは常時携帯は出来ませんでした
宮本武蔵の父親と言われている新免無二(しんめんむに)は、十手の武芸を指導して生計を立てていたようです
その腕前は素晴らしく、室町幕府の将軍の足利義昭にも認められました
宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いは間違いだらけかもしれない
剣豪である宮本武蔵と佐々木小次郎の二人は、巌流島で勝負をすることになる
佐々木小次郎は巌流島で勝負の時を待っていたが、宮本武蔵は一向にやってこない
宮本武蔵は2時間も遅れて巌流島に到着した
その手には木刀を持っていた
怒り狂った佐々木小次郎はすぐさま近寄り「奥したか武蔵!」と言い放つ
海水に足をつけて動きづらく、不利な宮本武蔵に襲いかかる佐々木小次郎
結果は宮本武蔵は、佐々木小次郎の一振りを避け、木刀で頭を叩いて勝負が決まる
物干し竿と呼ばれる長い剣を使う佐々木小次郎に勝つため、船のオールをひたすら削って木刀にした宮本武蔵でした
2時間遅れることで怒りに判断力を奪われた佐々木小次郎は、物干し竿よりも長い木刀を持ってきたことに気が付かなかったとされています
実は、これらのことは誤りではないかと言われています
ほとんどの資料から佐々木の性が出てきません
それどころか、上田宗入という謎の名前が出てきてしまう始末です
また、宮本武蔵は当時19〜29歳と言われていますが、佐々木小次郎は他の資料から50〜70歳位ではないかと言われています
また、勝負に破れた佐々木小次郎は、宮本武蔵の弟子たちに撲殺されたとの記載もあります
江戸時代からどこでも鍋が食べられるようになった
鍋料理を楽しむためには、必ず火が必要です
古い時代から鍋料理はありましたが、それは囲炉裏がある大きな家などでしか食べられませんでした
現代ではガスコンロがありますが、江戸時代にはそんな便利なものはありません
ではどうして「どこでも」鍋料理が出来るようになったのでしょうか?
江戸時代にどこでも鍋を可能にしたのが、七輪や火鉢の普及です
当時は家が狭く、囲炉裏などは当然設置できませんでした
それを七輪や火鉢は小型で普及していたため、可能にしたのです
今、鍋といえば家族や友達と囲んで楽しむイメージですが、江戸時代は違います
小さく浅い鍋を使って、一人鍋をしている浮世絵がたくさん見つかっています
お皿の用意なども不要で、料理して出来上がったらすぐに食べられるスタイルが好まれたようです
この鍋の革命から、現代の多様な鍋料理が誕生したとも言われています
江戸時代から令和までかなり変わった!
言うまでもありませんが、江戸時代から現代まで大きく変わりました
今では江戸時代について知られていることがどれだけ正確かはわかりません
ですがいつの時代も人が時代を作り、時代が人を作っていったのだと感じます
歴史から学べること、今だから感じ取れることを活かして、これからの未来をみなさんの幸せを作っていけたらと思います
この記事が皆さんの人生に役立てれば幸いです
Twitterでは記事の更新などをつぶやいています
良ければフォローもお願いします!